漠然とした不安の正体は「幸せに不感症」かもしれない
50代になってから、漠然とした不安がいつも胸にある。
何かが足りない気がする。 このままでいいのかわからない。 でも、何が欠けているのかも、はっきりしない。
そんな感覚を抱えている方は、多いのではないでしょうか。
内閣府の調査では、日常生活で悩みや不安を感じる割合が最も高いのは50代という結果が出ています。そして生活の充実感を感じていない割合も、50代がトップ。
私もずっと、その中の一人でした。
でもある日、ピアノを30分弾いた午前中に、ふと気づいたことがあります。
「私は、幸せに不感症になっていたのかもしれない」と。
ピアノとブログ、同じ私なのに何が違うのか
午前中、ピアノを30分弾きました。
間違えてもいい。 上手くならなくてもいい。 ただ音を出している時間そのものが、気持ち良く心を整えてくれる。
弾けただけで、満足している自分がいます。
でも、ブログは違います。
時間をかけて書いても、読まれなければ「無駄な時間だった」と、やさぐれ感。 同じ私なのに、なぜ。
この差は何だろう、と考えました。
「過程が報酬」か「結果が報酬」か
答えは、シンプルでした。
ピアノは「過程」が報酬になっている。 ブログは「結果」が報酬になっている。
読まれるかどうか。 数字がつくかどうか。 評価されるかどうか。
そこに価値を置いた瞬間、書いている時間そのものの意味が消えてしまうのです。
本当は、言葉を選んでいる時間も、自分の内側を整理していく時間も、嫌いじゃない。 アイデアが浮かぶ瞬間や、過去の記憶が蘇る瞬間。 ピアノと同じ満足が、確かにそこにある。
それなのに「結果」が出ないと、その時間ごと無かったことにしてしまう。
マッチングアプリに見る”値踏み社会”の正体
先日、知り合いのA子(40代・バツイチ)から連絡がありました。
マッチングアプリで会った男性に、怒り狂っていたのです。 「年収1000万って書いてたのに、嘘やった」と。(A子は関西人)
私は黙って話を聞きながら、心の中で思いました。
A子のプロフィール写真は、本人がわからないほど加工されている。 値踏みされることに怒りながら、自分もまた、値踏みされるための嘘をついている。
マッチングアプリも、100円ショップも、構造は同じです。
人も、モノも、コンテンツも、スペックで値踏みされる社会。 「交換できる価値」がなければ、簡単に「いらないもの」として扱われる。
「もっと、もっと」を望むように社会は作られている。 そうでないと、物やサービスが売れないから。
社会の基準を、自分の内側に取り込んでいた
そして気づいたのです。
私は、その価値観を自分自身に向けていた。
書いている時間は楽しい。 なのに「読まれない=価値がない」と決めつけて、自分の時間ごと切り捨てていた。
まるで、自分自身をゴミ扱いするように。
ピアノは、弾けただけで満足できるのに。 書くことは、書いているだけでは認められない。
その違いを生んでいるのは、社会ではなく、私の中にある基準でした。
50代は「漠然とした不安」が最も強い世代
ある調査では、50代女性の71.7%が「毎日がなんとなくつまらない」「なんとなく不安」と感じているという結果が出ています。
そしてそのうち73.7%が、その感情を周囲にさとられないよう、努めて明るく振る舞っている。
つまり、多くの50代女性が「幸せを感じられない」状態を抱えたまま、それを隠して生きている。
これは性格の問題ではありません。 更年期でセロトニンが減少しやすい身体的要因もあれば、子どもの巣立ち、親の介護、夫婦関係の変化といった環境要因もある。
でも、それだけではないと私は思います。
長年にわたって「もっと、もっと」の社会の基準を内側に取り込み続けた結果、すでにある満足を感じ取るセンサーそのものが、鈍ってしまっているのではないか。
私はそれを「幸せに不感症」と呼んでいます。
少しずつ、感じ直している途中
今日、ピアノを30分弾きました。 それを「積み上がったこと」に数えてみようと思います。
書いている時間も、たぶん、そこに入る。
幸せに不感症だった私が、少しずつ、感じ直している途中です。
センサーは、壊れたわけではない。 ただ、長く使っていなかっただけ。
同じ感覚を抱えている方がいたら、一緒に感じ直していきませんか。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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