「また買ってしまった」「なんであの時カードを切ったんだろう」
買い物のあとに押し寄せる罪悪感。わかっているのにやめられない。それは意志の問題ではなく、心のサインかもしれません。
この記事では、長年の摂食障害を経験したカウンセラーが、過食と浪費がまったく同じ構造を持っていることに気づいた実体験をお伝えします。
「食べることが止まらない人は、お金を使うことも止まらない」
私自身、長年にわたり摂食障害と向き合ってきました。食べて、吐いて、自分を責めて、また食べる。そのループの中で何十年も過ごしてきました。
でもある時、振り返って気づいたのです。まったく同じことを「お金」でもやっていた、と。
私の”お金の過食”時代
精神薬反対運動で知り会った人が某カルト教団の人でカルトとは知らず、誘われるままに行くとカルト教団。寄付や勉強会など、引き込まれ、怖さを知った時は弁護士の介入なしではできないほど大変でした。
見栄を張って飲食店も開きました。「すごいね」「毎日通うよ」という言葉を真に受けて、リサーチもせずに。結果、子供に寂しい思いをさせ、これでは親子関係が破綻すると思い1年も持たずに閉店。
ブティックにも通いました。店員さんの「お似合いです」が心地よくて。あの空間にいる自分が好きだった。でも買っていたのは服ではなく、”ちゃんとしている自分”という幻想でした。
過食と浪費に共通する「心の空腹ループ」
満たされない → 何かで一時的に埋める → 罪悪感 → また繰り返す。
このループ、過食とまったく同じ構造です。使う対象が「食べ物」か「お金」かの違いだけ。
カウンセラーとして学んでわかったのは、どちらも「自分の価値を外側に求めている」状態だということ。
食べ物で体を満たそうとする。お金で「すごい自分」を買おうとする。でも本当に足りなかったのは、自分で自分を認める力でした。
何を手に入れても満たされない。当然です。入れる先が穴の空いたバケツだったのですから。
鎧を脱いだら、クレジットカードが怖くなくなった
私はようやく鎧を脱ぎました。
ブティック通いをやめた。ブランド品を手放した。美容院の頻度を見直した。
そうやって「無駄」を整理していったら、不思議なことが起きました。
自分に本当に必要なものだけを選ぶようになったら、毎月のクレジットカードの請求に怯えなくなったのです。
見栄で膨らんでいた支出がなくなると、本当に必要な金額が見えてくる。それは思っていたよりずっと少なかった。
そして何より、「すごいと思われなくても大丈夫な自分」がそこにいました。
買い物が止まらないあなたへ
過食が「心の空腹」のサインだったように、浪費も「心の空腹」のサインです。
買い物のあとに妙な罪悪感を感じたり、通帳を見るのが怖かったりするなら。
それは意志が弱いのではありません。心が「何か足りない」と叫んでいるだけかもしれません。
まずは、自分が何を「買っている」のか、立ち止まって考えてみてください。本当に欲しいのは、そのモノですか? それとも、そのモノを持っている自分ですか

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