天皇は象徴か、それとも装置か──「触れてはいけない空気」が生まれる理由

日常のこと

なぜ、この話題には「変な空気」が生まれるのか

政治のニュースや歴史の話を見聞きする中で、
私は以前から違和感を抱いていました。

天皇は「政治に関わらない存在」だと教えられてきたはずなのに、
首相の任命や衆議院の解散といった国家の節目には、必ず名前が出てくる。
「関わっていない」と説明されながら、
国家運営の重要な場面には欠かせない存在として扱われている。

なぜだ?

さらに、天皇や皇室について疑問を口にすると、
空気が一気に変わることがあります。
否定も攻撃もしていないのに、
「その話題は触れない方がいい」という無言の圧力が生まれる。

この「触れてはいけない空気感」は、誰が作ったのでしょうか。

誰かが明確に命じたわけではない。
法律で禁止されているわけでもない。
それでも、多くの人が慎重になり、言葉を選び、沈黙する。

その理由を考えてみたいと思いました。


天皇の立場は「象徴」として定義されている

日本国憲法では、天皇は
「日本国および日本国民統合の象徴」とされています。

政治的な決定権は一切持たず、
行うのはすべて「国事行為」と呼ばれる形式的な仕事です。

たとえば、

  • 内閣総理大臣の任命
  • 衆議院の解散
  • 法律や条約の公布

これらは、すべて内閣の助言と承認に基づいて行われると定められています。

決定するのは国会や内閣であり、
天皇はそれを「認証する役割」を担うだけです。

よく使われる比喩があります。

天皇は、政治的な台本を読み上げる「主演俳優」のような存在。
台本を書く「脚本家」も、責任を取る「プロデューサー」も、
すべて内閣や国会である。

つまり、天皇自身の意思で政治が動くことはありません。
あくまで、憲法というルールに従った「役割」を果たしているに過ぎません。


それでも「神聖視」が残る理由

制度上は、天皇は完全に非政治的な存在です。
それにもかかわらず、
どこか「神聖なもの」「触れてはいけないもの」という空気が残っています。

その理由の一つは、
天皇という存在が政治の外側に置かれていることにあります。

政党の利害から切り離され、
選挙にも勝ち負けにも関わらない。
だからこそ、政治的対立で分断された社会の中でも、
「共通の象徴」として扱われてきました。

この役割は、安定を生む一方で、
中身を考えないまま尊重だけが先に立つ状態を生み出します。

そこに、

  • 歴史
  • 伝統
  • 儀式
  • 祭祀

といった要素が重なり、
批判や検討がしづらい「空気」が形成されていきます。


象徴は、いつの間にか「装置」になる

ここで一度、視点を変えてみます。

天皇という存在を、
信仰や否定の対象としてではなく、
日本を安定させるための仕組みとして見た場合、どうでしょうか。

  • 国家の決定に形式的な「重み」を与える
  • 政治の責任を天皇から切り離す
  • 国民の感情をまとめる象徴として機能する

こうした働きを担っていると考えると、
天皇は「象徴」であると同時に、
社会システムの一部(装置)とも言えます。
(一般的な例えだと大家族のご意見板のお婆ちゃんのような居てるだけで安心感がある)

天皇だとこの「装置性」の話題に触れた瞬間、
多くの人が無意識にブレーキをかける。

それが、
「触れてはいけない空気」の正体ではないでしょうか。


天皇は、法的には政治的権限を持たない存在です。
それでも、社会の中では
「象徴」であると同時に、
制度を円滑に回すための装置的役割を果たしてきました。

この役割が長く続いた結果、
考える前に黙る、
整理する前に避ける、
そんな空気が生まれたのかもしれません。

では、
この「触れてはいけない空気」が
どのように作られ、
なぜ今も残っているのかを、
もう一段深く見ていきます。



なぜ「誰も主役ではない構造」が続いてきたのか

天皇を中心にしたこの仕組みを見ていくと、
奇妙な特徴があります。

誰か一人が支配しているわけではない。
誰か一人が決定しているわけでもない。

それでも、この構造は長く維持されてきました。(神話上2026年、歴史学上1500~1600年)

この理由を考えると、
天皇制は「誰かの意思」ではなく、
役割分担によって成り立つ構造だと見えてきます。


天皇側のマインド──「個」を消す役割

もし仮に、
天皇自身がこの制度の曖昧さや、
歴史の複雑さを理解していたとしても、
求められるのは「個人の意思」ではありません。

考えられるのは、次のような姿勢です。

  • 血筋よりも「型」を継ぐという意識
  • 自分は役割の「入れ物」であるという自覚
  • 儀式を滞りなく続けることへの集中

自分が何をしたいか、
どう感じているかは表に出ません。

この徹底した「個の消失」が、
制度を安定させてきたとも言えます。


利用する側と、守る側

一方で、この仕組みを支えるのは天皇だけではありません。

  • 政治家
  • 官僚
  • メディア
  • 外郭団体

それぞれが、
異なる立場から同じ構造を支えています。

外郭団体とは、
天皇や皇室を「神聖なもの」として守る役割を引き受けている人たちや集団
を指します。

彼らが存在することで、
「踏み込み過ぎると危険」という空気が強化され、
制度そのものが聖域化されていきます。

結果として、

  • 政治家は責任を象徴の陰に隠せる(権力と権威の分散)
  • 国民は不安定な政治から距離を取れる(象徴である天皇陛下がいてくださるから大丈夫)

という、奇妙なバランスが成立します。


もし天皇という象徴や制度がなくなったときに、私たちは
誰かに(与党?宗教?占い?)に判断を委ね続ける社会のままでいるのか

それとも
一人ひとりが考え、決め、責任を引き受けられる社会へ進めるのか?
考えたことはありますか?


人はなぜ、何かを崇拝したくなるのか

人間は、
完全な自由と孤独に長く耐えられる存在ではありません。

だからこそ、

  • 国家
  • 理念
  • 象徴

といった「外側の拠り所」を求めてきました。

天皇という存在も、
その一つだったのかもしれません。

しかし、
科学や情報が発達し、
選択を自分で引き受けざるを得ない時代に入り、
外側の象徴だけでは支えきれない場面が増えています。


外側の神から、内側の軸へ

哲学者ニーチェは「神は死んだ」と言いました。
それは、外側にある絶対的な価値が崩れる時代の到来を意味しています。

科学が進み、
世界が合理的に説明されるようになった今、
外側の象徴だけに意味を委ね続けることは難しくなっています。

これから問われるのは、

自分の中に、判断軸を持てるか

ということです。

外側の神に委ねるのではなく、
内側に責任と価値を引き受ける。一人ひとりが考え、違和感を持ち、
静かに距離を取る選択ができる社会になったとしたら。

天皇は、人類が宇宙に住むようになれば
崇拝される対象でも、
否定される対象でもなく、
歴史的な役割を果たした存在として、
自然に位置づけ直されていくのかもしれません。


結びに

この記事は、
天皇を否定するためのものではありません。

同時に、
無条件に守るためのものでもありません。

ただ、
「触れないことで保たれてきた空気」を、
一度だけ言葉にして整理してみたかった。

考えること自体が禁じられた社会は、
健全とは言えません。

感情ではなく、
構造として理解すること。

そこから、
それぞれが自分なりの象徴を選び社会へ進むこと。

私は依存症から脱却できるカウンセリングやテキストを作っています。
依存は「弱さ」ではなく心の中心にあるべき「象徴」が何らかの理由(教育、トラウマ、支配)で奪われた結果であると定義します。

• メッセージ「あなたが依存しているのは、あなたが空っぽだからではない。あなたの中心にあるべき『あなただけの神聖な場所』を、何かに貸し出しているだけだ」


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