どうでもいい」は悟りではなく“心の凍結”|クールな無関心が心を壊す理由
「どうでもいい」――そうつぶやいて、心を投げ出したくなる瞬間は誰にでもあります。
しかし、その「どうでもいい」は本当に無関心なのでしょうか? 実はそれは、心を守ろうとして無理に冷たく装った結果であり、放置すれば自分自身を壊してしまう危険なサインなのです。
「どうでもいい」は魂の声なのか?
「どうでもいいや」と投げ出す気持ち――それは魂が求めた声なのでしょうか。 一見すると、仏教の「執着を手放す」という教えと似ています。けれど実際にはまったく違うのです。
仏教の「解放」とは、欲望や執着に心を囚われない自由のこと。 しかし「どうでもいい」という投げ出しは、本音ではこだわり続けているのに、懸命に無関心を装い、心を殺してしまう行為なのです。
無関心を装う危険性
現代では、
「人間関係?どうでもいいさ」
「愛?どうでもいいさ」
といったクールさが、あたかも“悟った”かのように語られることがあります。
けれど、それは悟りとは真逆の閉鎖・拒絶・恐怖です。
確かに、辛い出来事の直後に「どうでもいい」と感じることは自然な反応かもしれません。 しかし、その思いに長く留まってしまうと――
- 虚無や空虚に飲み込まれる
- 希望や夢を願う力を失う
- やがて「生きることすらどうでもいい」と感じる危険な状態に陥る
本当は「どうでもいい」のではなく「傷つきたくない」
ここで、自分に問いかけてみてください。
「私は“どうでもいい”のではなく、“傷つきたくない”のではないか?」
そうです。 “どうでもいい”のではなく、疲れて、傷つくことを避けたいがために、望むことを諦めようとしているだけなのです。
けれど―― 傷つかない人生には、同じように喜びもありません。
クールに装うことは悟りではなく、
傷つくことも受け入れ、そのうえで喜びも受け取る。
それこそが、本当の意味での「悟り」なのです。
凍った心を再起動させる
心が氷のように固まってしまった時、そのままでは生きる力はどんどん失われていきます。 けれど、氷を溶かすことは必ずできます。
たとえば――
- 映画や音楽で涙がこぼれた
- 誰かに優しい言葉をかけたくなった
- 世界に少しだけ関心を持てた
こうした小さな“溶け始め”の兆候を見逃さず、自分の心に光を当ててください。
その時、あなたの隣で言葉を届ける存在として、カウンセラーがいます。
心が溶け始めると、内側から熱い感情と共に涙が溢れるかもしれません。
それは、一度捨ててしまおうとした心を取り戻した証なのです。
まとめ
「どうでもいい」という気持ちは、悟りではなく心の凍結です。 その奥には、「傷つきたくない」という切実な願いが隠されています。
傷つきも喜びも、両方を受け入れることこそが、人として生きる力であり、真の解放へつながります。
そして――
あなたの心が再び溶け出す時、世界は再び色を取り戻すでしょう。
カウンセリングのご案内
もし今あなたが「どうでもいい」と感じて、心が凍りつきそうなら――
そのまま放置しないでください。
一人で抱え込めば抱え込むほど、心の氷は厚く固まっていきます。
でも、行動すれば必ず溶けていきます。
私はカウンセラーとして、あなたがもう一度「生きたい」「喜びを感じたい」と思えるように伴走します。
あなたが動き出すのは、今この瞬間です。
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未来は、あなたが「動いた一歩」から必ず変わります。
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