「ここ、なんか違う」
そう感じたことはありませんか?
私は最近、ある職場でその違和感を強く感じました。
私は以前、テーマパークのオフィシャルホテルで働いていた。
一見、華やかで楽しそうな場所。
でも実際に働いてみると、そこには別の現実がありました。
指示は人によって違う。
何を優先すべきかも曖昧な言い方。
聞けばムッとされ睨まれる。
「ここはいいから!」「そっちやって!」
先輩にそう言われても、勤務1週間の私は何をどうすればいいのか分からない。
確認すると、また無言で睨む。
だから私は、なんとなく「多分こうかな」と空気を読みながら動くようになっていきました。
でも、それは安心ではなく、消耗でした。
同化するのが正解なのか?
この悪い環境でうまくやるには、どうすればいいのか。
一つの答えは「同化すること」です。
・深く考えない
・言われたことだけやる
・空気を読む
・波風を立てない
そうすれば、衝突も減るし、楽になるかもしれません。
でも、それを選ぼうとしたとき、強い違和感がありました。
「これを続けたら、自分が壊れる」
そう思ったのです。
なぜ私はこんなに違和感を感じるのか
同じ職場でも、平気な人もいます。
世の中のことにあまり関心がなくても、
深く考えなくても、
日々をこなしている人たち。
その人たちは、普通に食べて、普通に働いている。
一方で私は、
考えてしまう。
感じてしまう。
立ち止まってしまう。
そして思うのです。
「なんで私はこんなにしんどいのに、あの人たちは平気なんだろう」
この感情の正体は、
劣等感ではありません。
「理不尽さ」でした。
人は違う“見え方の層”で生きている
ここで一つ、気づいたことがあります。
人によって「見ている世界の違い」、レイヤーがある、ということです。
(※ここでいう「レイヤー」とは、“どの視点で世界を見ているか”という意味です。
同じ場所にいても、人によって見えている景色や感じ方が違う、というイメージです。)
・深く考えない人は、その分悩みもシンプル
・深く考える人は、見えなくていいものまで見えてしまう
どちらが上か下かではありません。
ただ、見ている層が違うだけ。
それだけのことです。
同化しないという選択
ここで大事なのは、
「同化しないこと」と
「見下すこと」は違うということです。
私は最初、心のどこかで
「こんな環境にいる自分が嫌だ」
「こんな人たちと同じと思われたくない」
そう感じていました。
でもそれは、自分を守るための反応であって、
本質ではありません。
本当に大切なのは、
「私は私の基準で生きる」
と決めることでした。
今ここは「通過点」でいい
違和感を感じる場所にいると、
「ここに馴染めない自分はダメなのか」
と考えてしまいがちです。
でも、そうではありません。
今いる場所が合わないことと、
自分に価値がないことは、全く別です。
むしろ、
「ここで終わらない」と思えていること自体が、
次に進む力になります。
私が私であるために
私は今、こう決めています。
・環境に自分の価値を決めさせない
・理解されないことに過剰に反応しない
・でも、自分の基準は捨てない
そして、
「今ここにいる自分も事実として受け入れる」
逃げるのではなく、
同化するのでもなく、
通過していく。
そのために、
考えることをやめない。
書くことをやめない。
自分の感覚を無視しない。
違和感は、間違いではない
もし今、
「ここは自分の居場所じゃない気がする」
そう感じているなら、
それはあなたの感覚が間違っているのではなく、
ちゃんと働いている証拠です。
その違和感を、
誰かを否定するために使うのではなく、
自分を導くために使ってください。

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