政治の話は、なぜこんなにも疲れるのか

大阪・地域問題

──市民活動という言葉のとらえ直し

政治の話をすると、空気が重くなる。
場が凍る。
いつの間にか揉めている。

だから「政治の話はタブーだ」と言われる。
けれど、本当に避けるべきなのは政治そのものではなく、
政治をどう扱っているかなのではないだろうか。


市民活動とは「聞いてもらうこと」ではない

市民活動という言葉から、

意見を言うこと
主張を通すこと
反対意見を説得すること

を想像する人は多い。

だが、私が経験してきた市民活動は違った。

市民活動は
誰と
どう関わるか

を自由に選ぶ。

相手を選ばない活動など存在しない。
話が成立しない相手や攻撃したいだけの人に、無理に話すことは活動ではない。


自分の時間はタダではない

自分の時間はタダではない。自分を安売りしてはいけない。
「思想が違うから切る」のではない。
私はただ、「対話が成立しない関係性を選ばない」だけだ。
限られた時間とエネルギーは、
対話が育つ場に使いたい。

誰にでも説明する義務はない。
誰と語るかを選ぶことは、責任ある判断だと思っている。


私が選んでいる政治との関わり方

私は、自分の政治的思想について、

学ぶ場
語る場
動く場

をはっきり分けて選んでいる。

同じ問題意識を持つ人と学び、
対話が成立する人と語り、
現実の社会で行動する。

だからこそ、
どこでも政治の話をする必要はないし、
誰にでも自分の考えを開示するつもりもない。


政治の話が争いになる理由

政治が争いになりやすい理由はシンプルだ。

説得しようとするからだ。

相手を変えようとする。
考えを正そうとする。
どちらが正しいかを決めようとする。

この瞬間から、対話は消耗戦になる。

だが、政治との健全な関わり方は、
相手を変えることではない。

自分がどう行動するかを決め、
それを続けることだ。


本当にすべきことは何か

本当にすべきことは、

全員と分かり合うことでも
反対意見を論破することでもない。

自分の影響力を、
自分が信じる方向に使うこと。

学び、
行動し、
支える。

それが、私にとっての政治参加だ。


政治思想の違う人から絡まれたときの返答例

もし、政治的に考えの違う人から
「お前は間違っている」と絡まれたら、
私はこう返す。

「その話は、同じ活動をしている人たちとしています」
「政治の話は、ここではしないと決めています」
「考えを変えるつもりはありません」

説明もしない。
議論もしない。
正しさの証明もしない。

それは逃げではなく、選択だ。


おわりに

政治の話を避けることと、
政治から逃げることは違う。

自分の場を選び、
エネルギーを注ぐ先を決めること。

それが、争わずに社会と関わる
一つの成熟した形だと、私は思っている

コメント

タイトルとURLをコピーしました