昔読んだ本に、こう書いてありました。
「働かないと、正気を失う」
大金持ちや貴族が壊れるのは、暇だからだと。
その本の他の主張は、ほとんど忘れてしまいました。 でも、この一行だけは、長年ずっと残っていたのです。
最近になって、その意味がやっと分かりました。
正気を失うのは、暇だからではありません。 誰からも必要とされている実感が、持てなくなるからです。
働くとは、お金を稼ぐことではない。 「私は世界に必要とされている」を、確認する行為。
お金は、副産物なのです。
お金が入れば心は満たされるのか
では、お金さえ入っていれば、心は満たされるのでしょうか。
答えは、ノーです。
パパ活、ママ活で稼ぐ人。 親のすねを、大人になっても齧り続ける人。
責める気はありません。 私自身、両方の経験があるからです。
若い頃、親の家に住み、親のお金で暮らしていた時期がありました。 好きでもないのに、お金が目的で、交際を続けた時期もありました。
その間ずっと、悩みは増え続け、 自分を罰するように、過食嘔吐は止まらず、 心はささくれ立っていました。
なぜでしょうか。
入ってくるお金や安心と引き換えに、 私は「自分自身」を、少しずつ手放していたからです。
パパ活・ママ活で削られていくもの
相手に合わせて笑い、頷き、求められた自分を演じる。 取引が成立するたびに、本当の自分が一枚ずつ削られていきます。 お金は増えるのに、自分は減っていく。
「私は選ばれている」という錯覚が、 「私はこれでしか価値がない」という呪いに変わっていきます。
親への寄生は「共依存」という構造
親への寄生も、構造は同じです。
40歳を過ぎても、50歳を過ぎても、親の年金や預金で暮らす人がいます。 本人は「親が望んでいる」と言う。 親は「子どもが心配」と言う。
これは、共依存です。
親は、子どもをコントロールできることで、自分の存在意義を保ちます。 さらに、世間からの「親孝行な子どもを持つ親」の座を獲得する。 老いの恐怖が、少し和らぐのです。
子どもは、社会に出る怖さから守られて、自立を先送りにする。
二人で一つの繭の中にいて、防御力ゼロの外の世界から、守り合っているように見えます。
でも実際は、二人で一緒に、衰えていく。 経験値も、成長も、止まったまま。 肉体だけは、老いていきます。
50歳になっても、60歳になっても、 自分が誰なのか、何が好きなのか、何ができるのか、分からないまま。
親が死んだ時、その人に残るのは、 喪失感だけではありません。 「自分という人間を、一度も生きてこなかった」という、 取り返しのつかない後悔です。
「自分を消す取引」に共通する構造
パパ活も、ママ活も、親への寄生も、 「自分を消すこと」と引き換えに、お金や安心を受け取る取引です。
形は違っても、構造は同じ。
そして、心は確実に削られていきます。
ささくれ立った心は、どこかで暴れます。 過食嘔吐、買い物依存、衝動的な恋愛、自分を傷つける言葉。
私の場合は、過食嘔吐でした。 飲み込んだものを吐き出すように、 自分で自分を罰していたのです。
今なら分かります。 あれは、自分を消す取引で溜まった毒を、体が必死に吐き出していたのだと。
お金は、入ってきた質と同じ質で出ていく
「お金じゃない、心だよ」と言いたいわけではありません。 そんな綺麗事で、人は変われないからです。
事実として、こうなのです。
自分を消して稼いだお金は、自分を罰する形で出ていきます。
過食嘔吐の食費。 ホスト、キャバクラ。 ブランド物の爆買い。 酒、ギャンブル、繰り返す整形。
入ってきた金額と、ほぼ同額が、 自分を傷つける何かに、消えていきます。
これは精神論ではありません。
パパ活で稼ぐ女性が、なぜ整形を繰り返すのか。 親の金で生きてきた人が、なぜギャンブルや酒に溺れるのか。
入り口で自分を消した分、 出口で自分を罰しないと、辻褄が合わないからです。 体と心が、勝手にバランスを取ろうとするのです。
自分自身で稼いだお金は、自分を育てる
逆に、自分自身を差し出して稼いだお金は、誰かのために使うものです。
初任給で、親にプレゼントを買った人は少なくないと思います。 あの感覚です。
自分に使う場合でも、自分を育てるために本を買ったり、体を整えたりします。 無駄遣いはできないでしょう。
入ってくる時に自分が削られていないから、 出ていく時も、自分を傷つける必要がないのです。
月100万のパパ活で、毎月100万が消える人がいます。 月3万の自分の仕事で、毎月3万が自分の血肉になる人がいます。
通帳の残高は、ほぼ同じ。 でも、5年後の二人は、別人になっています。
働くとは、自分の居場所を世界と確認し合うこと
働く=労働、ではありません。 働く=私がここにいていい理由を、世界と確認し合うこと。
労働じゃなくてもいいのです。 近所への挨拶も、孫への昔話も、誰かの話を聞くことも、小さな取引のひとつ。
正気を保つために、私たちが選ぶべきなのは、 高く売れる場所ではなく、 稼いだお金が、自分を傷つけずに済む場所。
入ってくる時に自分が濃くなって、 出ていく時に自分が育つ。
その循環の中にいる時、人は正気でいられるのです。
私が長年の摂食障害から抜け出せたのは、 入り口を変えたからでした。
「自分を消す取引」を、一つずつ手放していった先に、 吐き出さなくていい毎日が、ようやく来たのです。


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