私は3度離婚した 第7話

摂食障害連載小説


子育てが、終わって、しばらく、経った頃だった。
がらんとした家に、一人で、いると、あの渇きが、また、頭を、もたげてくる。
誰かに、必要とされたい。

その埋まらない穴を抱えていたある日、
私のもとに、一通のメッセージが、届いた。

「お店、閉めちゃったんですか? 寂しいです。あの時、相談に乗ってもらった、お礼が、したいです。」

かつて、私のカフェを、市民活動の場として、使ってくれていた、一人の男性だった。
彼のことは、ぼんやりとしか、覚えていなかった。
でも、メッセージを、読み返すうちに、あの頃、店で交わした、断片的な会話が、蘇ってきた。
真面目そうな、人だった。
政治や、社会の問題を、熱心に、語っていた。
正義感に、あふれた目を、していた。
「いい人」に、見えた。

私は、返信を、した。

久しぶりに、カフェのあった街で、お茶を、することになった。
会ってみると、彼は、記憶よりも、ずっと、饒舌だった。

「今の社会はね、弱い者が、切り捨てられる仕組みなんですよ。誰かが、声を、上げなきゃいけない。」
「僕はね、地域の会合にも、顔を出してるんです。困ってる人を、放っておけない性分でね。」
コーヒーカップを片手に、彼は、社会の話を、次から次へと、語った。
私は、ただ、聞いていた。
そして、思った。
スゴイ。
その瞬間、私の中で、何かが、灯った。
(この人は、何か、特別な人だ。)
(この人と、いれば、私の空っぽの人生も、意味のあるものに、なるかもしれない。)

今、思えば・・・
私は、「スゴイ」に弱かった。

肩書きのある人。
立派なことを、語る人。
何かを、成し遂げているように、見える人。
そういう人の前で、私は、いつも、判断が鈍った。
なぜなら、父が、そうだったから。

「偉い人の言うことは、正しい」

そう、刷り込まれて、育った。
そして、もう一つ。
私は、ずっと、「私を、選んでくれる人」を、待っていた。
子どもの頃、両親は、私を、選ばなかった。
兄は、選ばれた。
私は、いないも、同然だった。
だから、誰かに「あなたが、必要だ」と、言われると、
私は、相手の中身ではなく、
“選ばれた”
という事実に、舞い上がってしまう。
その時の私は、まだ、その自分の構造に、気づいていなかった。

彼との関係は、最初は、穏やかに、進んだ。
彼は、よく、私の話を、聞いてくれた。
頷いて、笑って、「すごいね」と、言ってくれた。
その「すごいね」が、渇いた私の心に、水のように、染み込んだ。

ほら、この人は、私を、見てくれる。
この人は、私を、選んでくれる。

本当は、小さな違和感は、あった。
彼が、店員に、少し、横柄なこと。
支払いの時によくトイレに行ってしまうことなど、、、。
でも、私は、その違和感に、気づかないふりを、した。
確かめてしまったら、この関係が、壊れてしまう。
また、一人に、戻ってしまう。
それが、怖かった。
やがて、彼は、結婚を、口にするように、なった。

「僕と、一緒に、なりませんか。」

その言葉に、私の、渇いた心が、震えた。
ああ、この人は、私を、選んでくれる。
私は、その申し出に、飛びつきたい、衝動を、抑えられなかった。

でも、さすがに、三度目だ。
すぐに、返事は、しなかった。
私は、独立した、二人の息子に、電話で、相談した。
長男のサトルは、しばらく、黙って、聞いていた。
そして、静かに、こう、言った。

「お母さん。その人の”活動”って、収入に、なってるの?」
「……ううん。ボランティアだから。」
「じゃあ、生活は? 結婚したら、お母さんが、働いて、その人を、食わせることに、ならへん?」

痛いところを、突かれて、私は、言葉に、詰まった。
「お母さん、昔から、”立派なこと言う人”に、弱いやん。でも、立派なことを”言う”のと、”やってる”のは、別やで。俺は、心配や。」
サトルは、感情的には、ならなかった。
ただ、事実だけを、まっすぐ、並べた。
その一つ一つが、私が、見ないようにしてきたものだった。

次男のリクは、もっと、はっきり、していた。
「お母さん、やめとき。」
開口一番、そう、言った。
「俺な、お母さんが、また、しんどくなるの、見たくないねん。前の親父の時も。お母さん、ぼろぼろやったやん。」
「今度は、違うのよ。あの人は、優しいし……。」
「優しい人が、なんで、お母さんのお金を、あてにするん?」
その一言は、胸に、刺さった。
「俺、お母さんのこと、心配やねん。ほんまに。頼むから、もう一回、考えて。」
リクの声は、少し、震えていた。

ああ。
この子たちは、もう、こんなに、大人になった。
かつて、私が、守ってきた、小さな二人。
その二人が、今、逆に、私を、守ろうと、してくれている。
嬉しかった。
本当に、嬉しかった。
でも・・・
それでも、私は、止まれなかった。
「ありがとう。心配してくれて。でもね、お母さん、大丈夫だから。今度は、違うから。」
私は、二人の忠告を、やわらかく、押し返した。
息子たちの言葉は、正しかった。
頭では、わかっていた。
でも、あの渇きが、、、
「誰かに、選ばれたい」「必要とされたい」という、あの渇きが、
息子たちの、正論よりも、強かった。
私は、その渇きに、負けた。
そして、私たちは、結婚した。
三度目、だった。

結婚と、同時に、彼の、本当の姿が、現れ始めた。
彼は、私とは、まるで、違う価値観で、生きていた。
喫茶店に入るのは、贅沢。
美術館に行く意味が、わからない。
化粧品は、ドラッグストアの、数百円ので、十分。
何かと言えば、彼の口癖は、これだった。
「そんなの、100円均一で、いいじゃん。」
ある日、私が、小さな絵の展覧会に、行きたいと、言った時も、そうだった。
「絵なんか見て、何になるの? 金の無駄でしょ。」
「……でも、私、こういう時間が、好きなの。」
「意味わかんない。その金で食べにいこうよ。」
私にとって、絵を見て、心が動く時間や、コーヒーの香りに包まれる時間は、ただの、贅沢じゃ、なかった。
それは、摂食障害から、自分を、取り戻すための、薬だった。
でも、彼の前では、それらは、すべて「無駄遣い」だった。
私の、回復の道が、一つずつ、否定されていった。
そして、彼は、次第に、働かなく、なっていった。

「俺は、社会のために、活動してるんだ。金なんかより、大事なことがある。」
「あなたは、定収入が、あるんだから、いいだろう。」
「何かあれば、実家が、助けてくれるんだろ?」

私の、貯金が、少しずつ、減っていった。
サトルが、電話で、言った通りに、なっていた。
私は、彼を、食わせていた。
気がつくと、私たちを、繋いでいるのは、”お金”だけに、なっていた。

決定的だったのは、ある日の、彼の一言だった。
市民活動から、帰ってきた彼に、私は、何気なく、聞いた。
「今日の活動、どうだった?」
彼は、靴を、脱ぎながら、こともなげに、言った。
「ああ、あれ? まあ、金も、かからないしさ。”いいことしてる感”、出るから、やってるんだよ。」
え?
私の中で、何かが、静かに、崩れ落ちた。
「いいことしてる感」。
彼にとって、社会正義も、地域貢献も、ぜんぶ、自分を、よく見せるための、道具だった。
中身なんて、なかった。
私が、あの日、「スゴイ」と思って、惹かれたもの。
それは、彼の中身じゃ、なかった。
彼が、自分を、飾るために、まとっていた、ただの、衣装だった。
そして、私は、その衣装を、本物だと、信じてしまった。
いや・・・・
本当は、うすうす、気づいていた。
息子たちにも、言われていた。
でも、私は、”選ばれた”事実に、しがみつきたくて、見ないふりを、していたのだ。

三度目だった。
私は、また、間違えた。
最初は、合わせようと、努力した。
彼の価値観を、理解しようと、した。
でも、合わせるたびに、私の中の、大事なものが、一つ、また一つと、すり減っていった。
そして、過食衝動が、戻ってきた。
夜中、台所で、お菓子に、手が、伸びる。
食べきれない量を、口に、押し込む。
でも・・・
あの、夜に、暗い窓ガラスで、自分の姿を、見てしまってから。
私は、もう、以前のようには、完全には、逃げ込めなく、なっていた。
食べても、吐いても、この虚しさは、埋まらない。
それが、わかってしまっていた。
危うい状態が、また、私の、すぐそばに、来ていた。

そんな、ある日。
次男のリクが、休暇で、帰省していた。
夕食の席で、彼と、リクが、話していた。
何の話だったかは、覚えていない。
些細な、意見の食い違いだった。
その時、彼が、リクに、暴言を、吐いた。
大きく、たくましく、育ったリクに、力では、勝てないと、悟ったのだろう。
汚い言葉で、リクの心を、傷つけた。
リクは、何も、言い返さなかった。
ただ、私の方を、ちらっと、見た。
その目が、何かを、訴えていた。

「お母さん、これで、いいの?」

そう、聞こえた、気がした。
かつて、「やめとき」と、震える声で、言ってくれた、あの子。
その忠告を、振り切ったのは、私だ。

私の中で、何かが、決まった。
もう、やめよう。
二度目の離婚の時、リクは、まだ、小さかった。
「子どものために」という言い訳が、あの時は、できた。
でも、今度は、違う。
リクは、もう、大人だ。
だから、今度こそ、私は、「自分のために」、終わりに、しよう。

その夜、私は、彼に、離婚を、切り出した。

「もう、無理。あなたとは、合わない。別れて。」

彼は、しばらく、黙っていた。
そして、ぽつりと、言った。

「俺、別に、悪いこと、してないよね。」

その一言で、私は、確信した。
この人は、最後まで、何も、わかっていない。
自分の周りで、何が、すり減っていったのかを。
私は、深く、息を、吐いた。

「もう、いい。書類だけ、お願いします。」

三度目の、離婚届だった。

詐欺に、あった気分だった。
信じたものは、また、見せかけだった。
でも、今回は、少しだけ、違った。
私は、彼を、責めなかった。
責める前に、私は、もう、気づいて、いたからだ。
私は、また、「私を、選んでくれる男」を、選んでいた。
中身ではなく、「選んでくれた」という事実に、舞い上がって。
それを、三度、繰り返した。

(私は、いったい、何を、繰り返しているんだろう。)
そう、自分に、問いかけた時。
ずっと、奥に、しまい込んでいた、幼い日の、感情が、ふいに、噴き出してきた。

怒りと、寂しさ。
私は、ちゃんと、怒って、こなかった。
父に、怒鳴られても。
母に、裏切られても。
兄と、差別されても。
「ねえ、寂しいよ。」
「ねえ、ちゃんと、私を、見てよ。」
その言葉を、私は、一度も、口に、できなかった。

その、行き場のない、怒りと、寂しさを、
私は、「選ばれること」で、埋めようと、していた。
誰かに、選ばれれば。
ようやく、私は、ここに、いていいような気がした。
ようやく、怒っても、寂しいと言っても、いいような気がした。
でも、それは、裏を返せば、
自分の、本当の気持ちを、ずっと、後回しに、してきた。
誰にも、本当の自分を、見せて、こなかった。
だから、選ばれても、選ばれても、満たされなかった。
三度の結婚は、すべて、そうだった。

その構造が、はっきりと、見えた瞬間。
私は、ようやく、自分の鎖の、本当の正体を、知った。

「選ばれなければ、私は、存在できない。」

育った環境で、植えつけられた、その思い込み。
それを、私は、いつのまにか、自分自身の手で、握りしめ、呪いの鎖に、していたのだ。
あの、ゾウの鎖。
もう、とっくに、ちぎれる強さを、持っていたのに。
自分で、「無理だ」と、信じ込んで、繋がれ続けていた、あの鎖。
その正体が、今、やっと、見えた。

三度目の離婚届を、提出した日。
私は、空を、見上げて、笑った。
「また、失敗した」ではなかった。
長い間、自分を、縛っていたものの、正体を、ようやく、突き止めた。

その解放感で、私は、笑えた。

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