私は3度離婚した。第4話

摂食障害連載小説

オープンから、数週間が経った。
私は、毎日、必死だった。
朝、店を開ける前に、子どもたちを保育園と学校に送り出す。

客は、来ない。
来ないとわかっていても、私は、店から、動けなかった。
もしかして、今、誰かが、ドアを開けるかもしれない。
その「もしかして」のために、私は、ひとり、カウンターに立っていた。
来ない客を、待つ時間は長く長く感じた。

夜、家に帰って、子どもたちにご飯を作り、お風呂、寝かしつけ。
寝かしつけたあと、台所のテーブルで、売り上げを数える。
数字は、毎日、同じことを言っていた。
足りない。
足りない。
足りない。

家賃。
仕入れ。
光熱費。
そして、サトミ父からの融資の返済期日。
数字は、容赦なく、私を追いつめていった。

それでも、私は、店を、辞められなかった。
サトミ父への、申し訳なさ。
サトミの描いた看板。
子どもたちに「お母さんの店」と言ってきた、自分の言葉。

そして・・・「私には、できる」と信じてきた、自分のプライド。
辞めることは、それら全部を、裏切ることのように、思えた。

私は、自分の手で開けた店を、自分の手で閉じる勇気が、持てなかった。
だから、私は、家にいない母親に、なっていった。

ある日、店の片付けをしていた夕方。
携帯が、鳴った。
次男の、担任の先生からだった。

「授業中ぼんやりしていることが多いんです」
先生の声は、淡々としていた。
「元気もない様子で、、、」
「ご家庭で、何かありましたか?」

その瞬間、私の世界の音が、すっと、消えた。
頭の中が、真っ白になった。
声が、出ない。

ちゃんと、子どもの顔を、見てなかった。
話も、聞いてあげてなかった。
込み上げる涙を、こらえながら、私は、答えた。
「今夜、息子と話し合います。」

電話を切ったあと、私は、しばらく、動けなかった。

ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。

その言葉が、心の中で、何度も、繰り返された。

急いで、閉店作業を済ませ、家へと、走った。
玄関を、開ける。
ちょうど、長男が、帰ってきた。

私が、こんな時間に家にいることに、長男は、驚いた顔をした。
そして、無言で、弟に、本を、手渡した。
図書館で、借りてきたらしい、絵本。

次男は、その絵本を、嬉しそうに、受け取った。
ああ・・・
私の中で、何かが、崩れた。

長男は、いつも、こうやっていたんだ。
母親が、いない夕方。
弟が、寂しそうな顔をする時。
お腹がすいた、と言う時。
遊んで、と言う時。
長男は、ずっと、母親の代わりを、していた。

長男は、父親にしてもらいたかったことだけじゃない。
母親にもしてもらいたかったことも、弟に、していたのだ。

絵本を読んでもらう、温もり。
おやつを、出してもらう時間。
そばに、誰かがいてくれる、安心感。

長男は、自分がもらえなかったそれらを、弟に、ぜんぶ、渡していた。
そして
それが、長男なりの、家族を保つやり方だった。

「お母さん」
小さな声で、次男が、言った。
「この本、読んで」

私は、その場で、座り込んだ。
子どもたちの背中を、ずっと、見ていなかった。
私が、見ていたのは、自分の夢だった。
そう、はっきりと、わかった。
私は、長男に、向き直った。
「ごめんね。
お母さん、ちゃんと、見てなかった。
すごく、負担を、かけてたよね」

長男は、少し、不機嫌そうな顔をした。
そして、はっきりと、言った。

「もう、このままじゃ、弟の心が、壊れる。ちゃんと、そばにいてあげて」

「俺も、そっちのほうが、気が楽になる」
長男は、目を、伏せた。

その肩が、ふと、震えたように、見えた。

この子は、ずっと、責任を、背負ってたんだ。
家を、守るために。
弟を、守るために。
母親が弟に見捨てられないために。

私は、深く、息を吸って、言った。
「明日、お店を、辞める。
これからは、学校から帰る時間に、ちゃんと、家にいるよ。
もう一度、ちゃんと、話して、顔を見る。やり直させて。」

少しの、沈黙。
そして、長男は、ぽつりと、言った。
「……ギリギリセーフやな」

私の目から、涙が、こぼれた。

「家族が、終わるかと、思ったわ」

長男は、そう言うと、静かに、自分の部屋へ、戻っていった。

次男が、小さな手で、私の膝に、絵本を、置いた。
「ねえって、お母さん、読んでよ。」
私は、次男を、抱きしめた。

数ヶ月前の、何気ない夜に、戻ったような時間だった。
それだけで、ぬくもりが、戻ってきた。
子どもたちの寝息が、重なる夜の静けさの中で、
私は、ようやく、息を、深く、吐けた。

(私は、なんで、辞められなかったんだろう)
そう、自分に、問いかけた。

サトミ父への、申し訳なさ。
サトミの看板。
自分のプライド。
理由は、いくつも、あった。
でも、本当の理由は、もっと、深いところに、あった。

私は、不器用だった。
子育てを優先したいのに、店は、捨てきれなかった。
両方を、回せなかった。
切り替える、判断ができなかった。

そして、
ふと、父の顔が、また、浮かんだ。

父は、商売を、選んだ人だった。
家族より、会社を、優先した人だった。
その代償として、娘である私は、家を出た。
家族は、機能不全のまま、終わった。
父も、不器用だった。
子育てに、不器用だった。
愛し方に、不器用だった。
だから、あんな言葉を、私に投げつけ続けた。

「女に学問はいらん」
「お前は俺の介護要員として産んだんだ」

あれは、愛が、ねじれた形で、出てきた言葉だったのかもしれない。
父なりの、不器用な、関わり方だったのかもしれない。

父は、商売を、選んだ。
でも、子育てには、不器用だった。
私は、子どもを、選んだ。
でも、商売には、不器用だった。

両方、できる人だって、たくさんいる。
私たちは、両方を、器用にこなすことが、できないところだけは、似ていた。

そして・・・
その時、私は、サトミの父のことも、思い出した。

サトミ父は、娘を、愛している人だ。
それは、私が、目の前で見てきた。
でも、
サトミは、二十年以上、家にこもり、人と会わずに、絵を描いてきた。
摂食障害を、抱えてきた。
それは、サトミ父の愛が、足りなかったから、ではない。
愛し方が、不器用だったから、なのかもしれない。
何をしてあげればいいか、わからなかった。
だから、お金を出すしか、できなかった。
私のカフェに、過剰に、お金を惜しまなかったのも、
娘の輝く姿を見て、何かをしてあげたい、という不器用な親の愛だったのだ。

みんな、不器用に、愛している。

それを、初めて、知った夜だった。

翌朝、私は、サトミ父に、電話をかけた。

「お店を、閉めることに、しました。
本当に、申し訳ありません」
電話の向こうで、しばらく、沈黙があった。
そして、サトミ父は、静かに、言った。
「そうか。よく、判断した」
「融資の、返済は、、、」
「焦るな。できる範囲で、ゆっくりでいい。それより」

少し、間があった。

「サトミにまた会いにきてくれ。
あの子、最近、よく笑うようになった。
あんたが、来てから、変わったんだ」

私は、受話器を、握りしめたまま、また、泣いた。

不器用な人の、不器用な、優しさ。
サトミ父は、私を、責めなかった。
責めるどころか、娘の笑顔のことを、嬉しそうに、話してくれた。

カフェの店内で、看板を、外した日。
サトミが、来てくれた。
「ごめんね」と、言いかけた私を、サトミは、遮った。
「いいの。あなたが、店を、開けてくれたから、私は、絵を見てもらえた。
それだけで、十分。」

(私の不器用さは、誰かの、何かに、繋がっていた)
その日、初めて、そう、思えた。

家に帰って、子どもたちの顔を、見た。
長男が、ちらりと、笑った。
「お母さん、本当に、辞めたんやな」
「うん。辞めた」
「よかった」

たった、それだけの会話。
それは、長男からの「おかえり」に、聞こえた。

不器用な、愛し方しか、できない私が、
家族で、いられる方法をようやく、見つけた。

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