「よし、ここに決めよう。」
サトミのお父さんが紹介してくれた物件は、上がアパート、一階が店舗。
よく通る通りに面し、近くには私立の一貫校と大きな教会。
ほどよい広さと立地に、私は「ここならきっといける」と胸を高鳴らせた。
子どもたちと一緒にいられる地域。
家族の時間も守れる働き方。
そのために選んだはずの開業だった。
けれど、、、、。
「家賃」「材料費」「人件費」「利益」…現実の数字には目を向けていなかった。
理想だけを信じて、突っ走っていた。
店の名前は「カナリアキッチン」
サトミが描いてくれた優しいイラスト入りの看板。
アンティーク調の店内に、手作りのベジバーガーとスープ、オーガニックコーヒー。
私の“夢”が、ぎゅっと詰まった空間だった。
「さあ、ここから新しい人生が始まる」
そう信じて迎えた開店初日。
けれど、思ったようにはいかなかった。
お客さんはまばら。
来てくれた人にも、うまく料理を出せず、心の中で「ごめんなさい」とつぶやき続けた。
流れるように回らない厨房、手が追いつかないオーダー。
思い描いた“やりがい”とは裏腹に、ただただ追い詰められていく感覚。
数日が過ぎても、常連はつかず、
私立のママたちも、教会の関係者も、どこか遠い存在のまま。
ある日、近所の知人がぽつりと教えてくれた。
「私立に通わせてるお母さんたちって、実は節約してるしね。
ビーガンとかオーガニックとか、入りづらいのよ。」
——はっとした。
私は“こうありたい自分”を店に込めていたけれど、
“誰かに求められる場所”をつくる努力はしていなかったのかもしれない。
それでも私は、あきらめたくなかった。
夜な夜な手描きのポップを描き直し、メニューも一新し、
子どもを寝かせたあと、ひとりでチラシを配って歩いた。
でも、現実は、怖いほど静かに、私を追いつめてきた。
「このままじゃ、うちは持たない」
“母としての働き方”を変えるために始めたはずだったのに、
疲れ切った私の背中を見て、子どもたちは何を思っただろう。
笑顔を守りたくて始めたことが、
家族の心に、影を落とし始めていた。
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