「小さなカフェを開こう。」
そう呟いた瞬間、思い出した人がいた。
——高校時代の友人、サトミ。
あの頃の彼女は、拒食症の真っただ中。
教室にはほとんど姿を見せず、痩せ細った体と、空っぽのような目をしていた。
誰も声をかけられずにいる中で、私は彼女が気になって仕方がなかった。
当時、私は過食嘔吐に苦しんでいた。
「食べることに振り回されている」という共通点が、サトミとの距離を縮めた。
拒食と過食——形は違っても、同じ苦しみのなかにいるように思えたが、拒食を羨ましいと思っていた。
憧れていたのだ。
「話したい。学校に来てよ」
毎日のようにメールを送った。
最初は戸惑っていたサトミも、少しずつ登校するようになって——
そしてある日、初めての笑顔を見せてくれた。
その笑顔に、救われたのは、きっと私の方だった。
“心って、特別な言葉じゃなくてもいい。
ただ、そばにいてくれる人がいるだけで、癒されるんだ。”
私は、その時はじめて、心の温度を知ったのかもしれない。
そして今——あの頃のサトミに、もう一度会いたいと思った。
同じように摂食障害と向き合ってきた彼女なら、
きっと今の私の「心の奥の話」を、静かに聞いてくれる。
誰にも言えなかったこと——
「自分の身体が怖かったこと」
「太ることが罪のように感じていたこと」
「嘔吐している自分を、どこか遠くから見ていたこと」
そんな私の過去を、彼女にだけは話せる気がした。
「お願いがあるの。会えない?」
メッセージを送ると、すぐに返信がきた。
「明日、うちに来て。」
サトミの家は、地元でも知られる名家。
インターホンを押すと、家政婦さんが出てきて、オートロックを開けてくれた。
久しぶりの豪邸に緊張しながら玄関に立つと、
その奥で待っていたのは、懐かしい笑顔のサトミだった。
「久しぶり!」
まったく同じタイミングで言葉が重なり、ふたりで笑った。
サトミは今、自宅でイラストレーターの仕事をしているという。
摂食障害はまだ完全には癒えていないけれど、家族の支えの中で、少しずつ前に進んでいた。
私は近況や高校時代の話をした。「もう目が覚めなければいい」と思っていた日々があったこと。
でも今は、子どもたちともっと一緒にいたくて、自分の時間を取り戻したいと思っていること。
雇われて働くのではなく、自分の手で生活をつくりたいこと。
そして——
「小さなカフェを開こうとしている」と話すと、
サトミは一瞬驚いたあと
「じゃあ、私が看板の絵を描くよ。
メニューも一緒に考えようか。イラスト入りにしたら、可愛いよね」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。
その夜、サトミはすぐにお父さんに連絡をとってくれた。
貸店舗の相談、立地のアドバイス、開業に必要な情報まで——
惜しみなく力を貸してくれた。
ひとりでは、きっとたどり着けなかった場所。
でも、サトミがいたから、夢が少しずつ現実に変わっていった。
「夢」なんて、ずっと遠くにあるものだと思っていた。
でも、あの再会が私に教えてくれた。
“本気で歩き出せば、人生は動き出す”
カフェの扉は、まだ開いていない。
だけどその準備の中には、これまでで一番やさしい風が吹いていた。
孤独を越えて、心がつながった。
その友情が、私の背中をそっと押してくれている——そんな気がした。
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