第3話:最初の離婚、そして自由への一歩

摂食障害連載小説

「もう、限界だ」

そう思った瞬間は、些細な出来事だった。

夕食の片付けをしていた私の視線の先で、夫がピーナッツの殻をぽいぽいと捨てていた。

その下にあったのは、子どもが一生懸命に描いたクレヨンの絵。

それは大切にテーブルに置いてあった――はずだった。

まるでただの紙くずのように、殻を落とされるその絵を見たとき、

私の中で、音もなく何かが崩れ落ちた。

この人は、大切なものを、大切にできない人だ。

この人と暮らしていては、私は――そして、私の子どもは、

きっと「大切にされる感覚」すら知らないまま、大人になってしまう。

最初の夫は、“優しさ”という仮面をつけて、私の前に現れた。

父に紹介され、車を与えられ、会社では役職まで用意された。

すべて「父の息がかかった場所」で守られていた彼は、自分で築く努力をせず、ただ甘えるばかりの人だった。

そして、結婚と同時に仮面は剥がれた。

欲しいものを手に入れた彼にとって、私という存在は、もう“配慮”の対象ですらなかった。

私が自立のために働き始めると、彼はこう言った。

「お前が稼いでるんだから、俺は無理しなくていいだろ」

「お前の顔を見ると、義父を思い出して気分が悪い!」

――彼は、父への怒りを、私にぶつけていた。

私は夫のサンドバッグであり、両親の養分だった。

でも、そんな人生で終わりたくなかった。

何より、息子に「哀れな母親」だと思われたくなかった。

毎日、仕事に出て、保育園へ送り迎えし、夜は夕食を作り、家事をして、子育てして、彼の機嫌まで取る日々。

心はじわじわと摩耗していき、黒い感情に私はどうにかなりそうだった。

夜、子どもを寝かせたあとの静けさが、一番怖かった。

冷たく、重く、抜け出せない闇。ドロドロとした黒い煙が私を包み込む。

「このままじゃ、私も息子も潰れてしまう」

夫は働かないだけでなく、生活費を浪費し、不機嫌を家中にばら撒いた。

“家族”という言葉は、もう愛の形ではなく、私を縛る檻になっていた。

そしての頭にどこかで見たフレームが浮かんだ。

死ぬこと以外は、かすり傷。野垂れ死に? 上等だ。

あの言葉が、心の奥底から力強く湧き上がってきた。

資格の勉強も始め、少しずつだけど仕事にも慣れていた。

「私には、もう自分の足で歩いていける力がある」

そう思えたとき、むしろ――ここに居続けることの方が、ずっとマイナスだ。

父には殴られ、兄との揉め事を避けたくて家の財産はすべて放棄した。

母の最後の言葉は、「この裏切り者!」という怒鳴り声だった。

でも――

離婚届を提出したあの日、私は人生で初めて、深く息を吸った。

お腹いっぱいに、食べ物ではなく、“空気”を吸った。

それは、生きていると実感できる、格別の味がした。

もちろん、不安はあった。

これからは母子家庭。責任はすべて私一人の肩にのしかかる。

けれど、“怖い”とは思わなかった。

息子の顔を見て、小さな手を握ると、不思議と力が湧いてきた。

「なんでもできる。私なら、きっと超えていける」

そう信じられた。

私はこの日から、本当の意味で“母親”になったのだと思う。

誰かに守られる存在ではなく、

誰かを守ることで、自分自身をもう一度、つくりなおす母親に。

これから先、また何度でも傷つくだろう。

でももう、私は――

誰かの顔色をうかがって生きる人生には、二度と戻らない。

これからは――

自分のご機嫌は

自分で取る人生を生きていく。

そう、私は自分に誓ったのだ。

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