私は、三度離婚している。
この言葉を口にするたび、胸の奥に冷たい風が吹き抜ける。「どうして、こんなに波乱の人生になってしまったのだろう?」
その答えは、いつも、あの家に帰っていく。
私は、いわゆる「裕福な家庭」に育った。外から見れば、何不自由なく暮らしているように見えたかもしれない。けれど、家の中に「愛」も「自由」も、「私」自身も存在しなかった。
父はワンマン経営の社長で、家庭でも独裁者だった。何十人もの部下を従えるように、家族にも支配を強いた。口癖は「女に学問はいらん」「お前は俺の介護要員として産んだんだ」。それは冗談でも比喩でもなく、真顔で放たれる言葉だった。
母は、そんな父に盲目的に従う人だった。「お父さんの言う通りにしなさい!さもないと私は死ぬ!」と泣き叫びながら私を追い詰めるその目に、愛情はなかった。彼女にとって大切なのは、父の機嫌と、自分の生活レベルを保つことだけ。
兄は家業の跡取りとして過剰に期待され、何をしても褒められた。一方、私は…いなかったも同然だ。ただ両親の「都合」で飼われているような存在だった。
「自由」なんて、最初から与えられていなかった。
進学?夢?希望?…そんなものは無駄だと笑い飛ばされた。自分の意思を持つことすら「反抗」とみなされ、口答えすれば怒号と体罰が飛んできた。友達は親が選んだ子だけ。手紙は勝手に開けられ、携帯電話なんてもってのほかだった。
私はただ、息をひそめて「家」という牢獄で生きていた。
ある日、「サーカスのゾウ」の話を聞いた。子ゾウの頃に繋がれた鎖に逆らえない経験を繰り返すと、大きく成長した後も、簡単にちぎれるはずの鎖を「無理だ」と思い込み、動かなくなるという。
私は、まさにそのゾウだった。
「逆らったら、生きていけない」。その思い込みを、幼いころから植え付けられていた。だから私は、自分の気持ちを押し殺し、両親が決めた夫に心を殺して嫁いだ。
人生なんて、もうどうでもよかった。
そんな私が、自分の感情を唯一表現できたのが、「食べること」と「吐くこと」だった。
――コントロールできるのは、自分の体重だけ。
中学の終わりから始まった摂食障害。過食して、吐いて、疲れきって、眠る。その繰り返し。食欲は止まらないのに、自分が太っていくのが怖くて、恐ろしくてたまらなかった。だから、トイレに駆け込み、指を喉に突っ込み、胃を押さえ、完全に吐き切る。ヒリヒリする胃袋に、さらに下剤を流し込む。
毎晩、これは私と自分との「合戦」だった。
家族が寝静まった夜中、私は狂ったように食べた。
生クリームの甘さ。コンビニの菓子パン。安っぽいチョコレート。その甘さの後には唐揚げ、脂ぎったお惣菜。口に入れている間だけが、現実から逃げられる時間だった。糖分が運んでくる一瞬の恍惚感だけが、私をこの世界から引き離してくれる。
画面には、何の意味もないYouTube動画が流れていた。ただの「音」と「光」。それだけ。
満腹の苦しさに目を剥いて、ようやく「終わり」が来る。
「吐かなきゃ!」
カエルのように膨らんだお腹を抱え、水を一気に飲み干し、トイレへ駆け込む。指を喉に突っ込み、もう片方の手で腹を押さえる。最初に食べた白米が見えた瞬間、「勝った」と思える。吐ききった、やりきったという、謎の達成感。
――生存本能って、すごいね。こんなにも自分を壊しているのに、それでも生きてる。
女としての楽しみも、恋愛も、私には「不要なもの」だった。親の方針は明確だった。嫁に出すまでは、余計な感情を一切持たせないこと。
けれど、そんな私の人生に、ある日、転機が訪れる。
それが――「妊娠」だった。
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