― 摂食障害と「もったいない」の心
駅前のケーキ屋さん
駅前にあるケーキ屋さん。
仕事帰り、夜の商店街を歩いていると、その店のショーケースが目に入る。
色とりどりのケーキたち。
どれも手間ひまかけて作られた、小さな芸術作品みたいに見える。
でも、夜になってもたくさん残っている。
翌朝には、また新しいケーキが並んでいるのを知っているから、
このケーキたちは、きっと今夜、捨てられるんだろう。
そんな光景を見ながら、ふと、私は思った。
「捨てるくらいなら、私が食べた方がいいんじゃないか」
もったいないの先にある、罪悪感
私は過去、摂食障害を抱えていた。
食べることが怖くて、でもやめられなくて。
過食しては吐く、その繰り返しの中で、自分の存在さえ見失いかけていた。
「食べ物を無駄にしちゃいけない」
「もったいない」
その気持ちが強くて、つい手を伸ばしてしまうこともあった。
でも、結局、私はそれを吐き出していた。
いったん自分の体に入れてから、すぐに手放していた。
そして、そのたびに、深く、深く、罪悪感に沈んだ。
「私がしてることって、ただ“遠回りなゴミ箱”なんじゃないか」
「胃袋に入れて吐き出すのと、そのまま捨てるのと、結局は同じじゃないか」
そんな思いが、頭をよぎった。
自分を重ねていた
選ばれずに残されたケーキ。
きれいなのに、誰にも必要とされなかったケーキ。
それがまるで、自分のように思えた。
誰にも必要とされない。
完璧じゃないと、価値がない。
ちょっと崩れただけで、見た目がよくないだけで、捨てられる。
そんな感覚が、私の中にはずっとあった。
そして気づいた。
私は、ケーキを捨てる社会に怒っていたんじゃない。
「捨てられる側にいる自分」に、絶望していたんだ。
自分を捨てない生き方へ
ケーキは悪くない。
その日、誰かの目に留まらなかっただけ。
味も、価値も、変わっていないのに。
それと同じように、
私も、たまたま選ばれなかった日があっただけ。
誰かに必要とされなかった日があっただけ。
でも、それで価値がなくなるわけじゃない。
誰かに選ばれなくても、完璧じゃなくても、
私は私を、捨てない。
これからは、
罪悪感の中で自分をすり減らすのではなく、
「私はここにいていい」と思えるような日々を重ねていきたい。
最後に
今、もしあなたが「もったいない」という気持ちで苦しくなっていたら、
それはあなたが、食べ物や人の気持ちを大切に思える、優しい人だからです。
その優しさを、まずは自分に向けてあげてください。
食べ物も、自分も、大切にしていいんです。
捨てられない、、、でいいんです。
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