私は3度、離婚をした。
どの結婚も、最初は希望を抱いていた。けれど振り返れば、その希望は現実を直視しないための幻想だったのかもしれない。
飲食店を閉め、少しずつ元の生活に戻りはじめた頃。
そんなある日、私のもとに一通のメッセージが届いた。
「お店、閉めちゃったんですか?寂しいです。あの時に、相談に乗ってもらったお礼したいです。」
カフェを市民活動の場として定期的に使ってくれていた、ひとりの男性からだった。
彼は真面目で、政治にも関心があり、社会正義を語る姿は、頼もしく見えた。
……見えてしまったのだ。
——私は、男を見る目が、本当にない。
「この人なら、子どもにも優しくしてくれるかもしれない」
そんな淡い期待が、私をまた結婚へと向かわせた。
けれど、それはまたしても幻想だった。
彼の育った環境は、私とはまるで違っていた。
喫茶店は贅沢、美術館は意味不明、化粧品は数百円で十分。なにかといえば「100円均一でいいじゃん」が口ぐせだった。
私は文化や感性で心を満たしたかった。でも、彼にとってそれはただの無駄遣いだった。
次第に彼は働かなくなり、私の貯金を当てにするようになった。
そしてある日、冗談まじりにこう言った。
「市民活動?ああ、あれってお金かからないし、いいことしてる感あるからやってたんだよ……」
その瞬間、私は静かに確信した。
——この人は、私の人生には必要のない人だ、と。
最初は合わせようと努力もした。けれど、自分をすり減らしていることに気づいてしまった。
決定的だったのは、自衛隊に進んだ次男が帰省していたある日。
彼が息子に暴言を吐いたのだ。
大きく育った次男に対し、彼は力では勝てないと悟り、言葉で支配しようとした。
私は決断した。
「もう、やめよう。」
これが3度目の離婚だった。
まるで詐欺にあったような気分だった。信じたものは、またもや見せかけだったのだ。
けれど今は、悔いてはいない。
確かに私は失敗を繰り返した。
でも、その失敗の中でしか見えなかった「自分の本当の願い」もある。
それは——
「人に優しく、けれど自分にも誠実であること」
「自分の幸せを、諦めないこと」
これからは、過去を糧に、
自分と同じように悩む誰かに寄り添える存在でいたい。
たとえ何度つまずいても、それでも立ち上がって生きていける姿を、
息子たちにも、そして未来の私自身にも、見せていきたい。
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