午後の陽射しが緩やかに差し込む休日、家事をひと段落させて、ベランダの洗濯物をぼんやりと眺めながらお茶を飲んでいた。
静かな部屋には、私ひとりだけ。
かつては、子どもたちの笑い声や足音があふれていたこの空間に、今は穏やかな沈黙だけが満ちていた。
長男は大学を卒業し、自然農の道へ進んだ。
全国の農家を巡り、今では独立を目指している。
「見て、カルガモ農法の田んぼ!」
スマホ越しに届く写真は、どれも生き生きとしていて、あの頃の少年の姿はそこにはなかった。
次男は全寮制の学校に進み、自衛隊の道へ。
帰省するたび、がっしりとした肩幅と凛としたまなざしが頼もしく、
かつてタオルがないと眠れなかった幼さの面影は、すっかり姿を消していた。
子どもたちは、それぞれの道を歩き出した。
今、彼らは“社会”という名の大きな父親に育てられている。
私は、母としての役目を果たした。
だからこそ、これからは一人の女性として、どう生きていくのか——
その問いが、静かに胸に立ち上がってくる。
押し入れの奥から取り出したのは、古いアルバム。
ページが粘着して、ベリベリと音を立てながらめくると、懐かしい写真が現れた。
長男用、次男用、そして自分用の三冊に分けて、丁寧に整理していく。
元夫の写真は、静かに処分した。
子どもたちもきっと、そこに無理して思い出を残す必要はないと、心のどこかで感じているだろう。
アルバムの中には、私の高校時代の写真もあった。
体型に悩み、摂食障害に苦しんでいた頃の、目の奥が笑っていない少女。
もし、あの時に家を出る決断をしていたら——
そんな“たられば”が一瞬、胸をかすめる。
けれど今は、後悔よりも「やり直すチャンスを自分に与えたい」という思いが強い。
過去は変えられない。
でも、今の私が未来を変えられる。
そう信じて、私はまた一歩、進んでいく。
——静かな午後。
カップの中の紅茶が、ゆらりと揺れていた。
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