子育てが、終わって、しばらく、経った頃だった。
がらんとした家に、一人で、いると、あの渇きが、また、頭を、もたげてくる。
誰かに、必要とされたい。
その埋まらない穴を抱えていたある日、
私のもとに、一通のメッセージが、届いた。
「お店、閉めちゃったんですか? 寂しいです。あの時、相談に乗ってもらった、お礼が、したいです。」
かつて、私のカフェを、市民活動の場として、使ってくれていた、一人の男性だった。
彼のことは、ぼんやりとしか、覚えていなかった。
でも、メッセージを、読み返すうちに、あの頃、店で交わした、断片的な会話が、蘇ってきた。
真面目そうな、人だった。
政治や、社会の問題を、熱心に、語っていた。
正義感に、あふれた目を、していた。
「いい人」に、見えた。
私は、返信を、した。
久しぶりに、カフェのあった街で、お茶を、することになった。
会ってみると、彼は、記憶よりも、ずっと、饒舌だった。
「今の社会はね、弱い者が、切り捨てられる仕組みなんですよ。誰かが、声を、上げなきゃいけない。」
「僕はね、地域の会合にも、顔を出してるんです。困ってる人を、放っておけない性分でね。」
コーヒーカップを片手に、彼は、社会の話を、次から次へと、語った。
私は、ただ、聞いていた。
そして、思った。
スゴイ。
その瞬間、私の中で、何かが、灯った。
(この人は、何か、特別な人だ。)
(この人と、いれば、私の空っぽの人生も、意味のあるものに、なるかもしれない。)
今、思えば・・・
私は、「スゴイ」に弱かった。
肩書きのある人。
立派なことを、語る人。
何かを、成し遂げているように、見える人。
そういう人の前で、私は、いつも、判断が鈍った。
なぜなら、父が、そうだったから。
「偉い人の言うことは、正しい」
そう、刷り込まれて、育った。
そして、もう一つ。
私は、ずっと、「私を、選んでくれる人」を、待っていた。
子どもの頃、両親は、私を、選ばなかった。
兄は、選ばれた。
私は、いないも、同然だった。
だから、誰かに「あなたが、必要だ」と、言われると、
私は、相手の中身ではなく、
“選ばれた”
という事実に、舞い上がってしまう。
その時の私は、まだ、その自分の構造に、気づいていなかった。
彼との関係は、最初は、穏やかに、進んだ。
彼は、よく、私の話を、聞いてくれた。
頷いて、笑って、「すごいね」と、言ってくれた。
その「すごいね」が、渇いた私の心に、水のように、染み込んだ。
ほら、この人は、私を、見てくれる。
この人は、私を、選んでくれる。
本当は、小さな違和感は、あった。
彼が、店員に、少し、横柄なこと。
支払いの時によくトイレに行ってしまうことなど、、、。
でも、私は、その違和感に、気づかないふりを、した。
確かめてしまったら、この関係が、壊れてしまう。
また、一人に、戻ってしまう。
それが、怖かった。
やがて、彼は、結婚を、口にするように、なった。
「僕と、一緒に、なりませんか。」
その言葉に、私の、渇いた心が、震えた。
ああ、この人は、私を、選んでくれる。
私は、その申し出に、飛びつきたい、衝動を、抑えられなかった。
でも、さすがに、三度目だ。
すぐに、返事は、しなかった。
私は、独立した、二人の息子に、電話で、相談した。
長男のサトルは、しばらく、黙って、聞いていた。
そして、静かに、こう、言った。
「お母さん。その人の”活動”って、収入に、なってるの?」
「……ううん。ボランティアだから。」
「じゃあ、生活は? 結婚したら、お母さんが、働いて、その人を、食わせることに、ならへん?」
痛いところを、突かれて、私は、言葉に、詰まった。
「お母さん、昔から、”立派なこと言う人”に、弱いやん。でも、立派なことを”言う”のと、”やってる”のは、別やで。俺は、心配や。」
サトルは、感情的には、ならなかった。
ただ、事実だけを、まっすぐ、並べた。
その一つ一つが、私が、見ないようにしてきたものだった。
次男のリクは、もっと、はっきり、していた。
「お母さん、やめとき。」
開口一番、そう、言った。
「俺な、お母さんが、また、しんどくなるの、見たくないねん。前の親父の時も。お母さん、ぼろぼろやったやん。」
「今度は、違うのよ。あの人は、優しいし……。」
「優しい人が、なんで、お母さんのお金を、あてにするん?」
その一言は、胸に、刺さった。
「俺、お母さんのこと、心配やねん。ほんまに。頼むから、もう一回、考えて。」
リクの声は、少し、震えていた。
ああ。
この子たちは、もう、こんなに、大人になった。
かつて、私が、守ってきた、小さな二人。
その二人が、今、逆に、私を、守ろうと、してくれている。
嬉しかった。
本当に、嬉しかった。
でも・・・
それでも、私は、止まれなかった。
「ありがとう。心配してくれて。でもね、お母さん、大丈夫だから。今度は、違うから。」
私は、二人の忠告を、やわらかく、押し返した。
息子たちの言葉は、正しかった。
頭では、わかっていた。
でも、あの渇きが、、、
「誰かに、選ばれたい」「必要とされたい」という、あの渇きが、
息子たちの、正論よりも、強かった。
私は、その渇きに、負けた。
そして、私たちは、結婚した。
三度目、だった。
結婚と、同時に、彼の、本当の姿が、現れ始めた。
彼は、私とは、まるで、違う価値観で、生きていた。
喫茶店に入るのは、贅沢。
美術館に行く意味が、わからない。
化粧品は、ドラッグストアの、数百円ので、十分。
何かと言えば、彼の口癖は、これだった。
「そんなの、100円均一で、いいじゃん。」
ある日、私が、小さな絵の展覧会に、行きたいと、言った時も、そうだった。
「絵なんか見て、何になるの? 金の無駄でしょ。」
「……でも、私、こういう時間が、好きなの。」
「意味わかんない。その金で食べにいこうよ。」
私にとって、絵を見て、心が動く時間や、コーヒーの香りに包まれる時間は、ただの、贅沢じゃ、なかった。
それは、摂食障害から、自分を、取り戻すための、薬だった。
でも、彼の前では、それらは、すべて「無駄遣い」だった。
私の、回復の道が、一つずつ、否定されていった。
そして、彼は、次第に、働かなく、なっていった。
「俺は、社会のために、活動してるんだ。金なんかより、大事なことがある。」
「あなたは、定収入が、あるんだから、いいだろう。」
「何かあれば、実家が、助けてくれるんだろ?」
私の、貯金が、少しずつ、減っていった。
サトルが、電話で、言った通りに、なっていた。
私は、彼を、食わせていた。
気がつくと、私たちを、繋いでいるのは、”お金”だけに、なっていた。
決定的だったのは、ある日の、彼の一言だった。
市民活動から、帰ってきた彼に、私は、何気なく、聞いた。
「今日の活動、どうだった?」
彼は、靴を、脱ぎながら、こともなげに、言った。
「ああ、あれ? まあ、金も、かからないしさ。”いいことしてる感”、出るから、やってるんだよ。」
え?
私の中で、何かが、静かに、崩れ落ちた。
「いいことしてる感」。
彼にとって、社会正義も、地域貢献も、ぜんぶ、自分を、よく見せるための、道具だった。
中身なんて、なかった。
私が、あの日、「スゴイ」と思って、惹かれたもの。
それは、彼の中身じゃ、なかった。
彼が、自分を、飾るために、まとっていた、ただの、衣装だった。
そして、私は、その衣装を、本物だと、信じてしまった。
いや・・・・
本当は、うすうす、気づいていた。
息子たちにも、言われていた。
でも、私は、”選ばれた”事実に、しがみつきたくて、見ないふりを、していたのだ。
三度目だった。
私は、また、間違えた。
最初は、合わせようと、努力した。
彼の価値観を、理解しようと、した。
でも、合わせるたびに、私の中の、大事なものが、一つ、また一つと、すり減っていった。
そして、過食衝動が、戻ってきた。
夜中、台所で、お菓子に、手が、伸びる。
食べきれない量を、口に、押し込む。
でも・・・
あの、夜に、暗い窓ガラスで、自分の姿を、見てしまってから。
私は、もう、以前のようには、完全には、逃げ込めなく、なっていた。
食べても、吐いても、この虚しさは、埋まらない。
それが、わかってしまっていた。
危うい状態が、また、私の、すぐそばに、来ていた。
そんな、ある日。
次男のリクが、休暇で、帰省していた。
夕食の席で、彼と、リクが、話していた。
何の話だったかは、覚えていない。
些細な、意見の食い違いだった。
その時、彼が、リクに、暴言を、吐いた。
大きく、たくましく、育ったリクに、力では、勝てないと、悟ったのだろう。
汚い言葉で、リクの心を、傷つけた。
リクは、何も、言い返さなかった。
ただ、私の方を、ちらっと、見た。
その目が、何かを、訴えていた。
「お母さん、これで、いいの?」
そう、聞こえた、気がした。
かつて、「やめとき」と、震える声で、言ってくれた、あの子。
その忠告を、振り切ったのは、私だ。
私の中で、何かが、決まった。
もう、やめよう。
二度目の離婚の時、リクは、まだ、小さかった。
「子どものために」という言い訳が、あの時は、できた。
でも、今度は、違う。
リクは、もう、大人だ。
だから、今度こそ、私は、「自分のために」、終わりに、しよう。
その夜、私は、彼に、離婚を、切り出した。
「もう、無理。あなたとは、合わない。別れて。」
彼は、しばらく、黙っていた。
そして、ぽつりと、言った。
「俺、別に、悪いこと、してないよね。」
その一言で、私は、確信した。
この人は、最後まで、何も、わかっていない。
自分の周りで、何が、すり減っていったのかを。
私は、深く、息を、吐いた。
「もう、いい。書類だけ、お願いします。」
三度目の、離婚届だった。
詐欺に、あった気分だった。
信じたものは、また、見せかけだった。
でも、今回は、少しだけ、違った。
私は、彼を、責めなかった。
責める前に、私は、もう、気づいて、いたからだ。
私は、また、「私を、選んでくれる男」を、選んでいた。
中身ではなく、「選んでくれた」という事実に、舞い上がって。
それを、三度、繰り返した。
(私は、いったい、何を、繰り返しているんだろう。)
そう、自分に、問いかけた時。
ずっと、奥に、しまい込んでいた、幼い日の、感情が、ふいに、噴き出してきた。
怒りと、寂しさ。
私は、ちゃんと、怒って、こなかった。
父に、怒鳴られても。
母に、裏切られても。
兄と、差別されても。
「ねえ、寂しいよ。」
「ねえ、ちゃんと、私を、見てよ。」
その言葉を、私は、一度も、口に、できなかった。
その、行き場のない、怒りと、寂しさを、
私は、「選ばれること」で、埋めようと、していた。
誰かに、選ばれれば。
ようやく、私は、ここに、いていいような気がした。
ようやく、怒っても、寂しいと言っても、いいような気がした。
でも、それは、裏を返せば、
自分の、本当の気持ちを、ずっと、後回しに、してきた。
誰にも、本当の自分を、見せて、こなかった。
だから、選ばれても、選ばれても、満たされなかった。
三度の結婚は、すべて、そうだった。
その構造が、はっきりと、見えた瞬間。
私は、ようやく、自分の鎖の、本当の正体を、知った。
「選ばれなければ、私は、存在できない。」
育った環境で、植えつけられた、その思い込み。
それを、私は、いつのまにか、自分自身の手で、握りしめ、呪いの鎖に、していたのだ。
あの、ゾウの鎖。
もう、とっくに、ちぎれる強さを、持っていたのに。
自分で、「無理だ」と、信じ込んで、繋がれ続けていた、あの鎖。
その正体が、今、やっと、見えた。
三度目の離婚届を、提出した日。
私は、空を、見上げて、笑った。
「また、失敗した」ではなかった。
長い間、自分を、縛っていたものの、正体を、ようやく、突き止めた。
その解放感で、私は、笑えた。
私は3度離婚した 第7話
摂食障害連載小説

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