摂食障害は、最初「味方」だった。

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過食嘔吐をやめられなかった長い間、
私はずっと、自分を責めていた。

意志が弱いから。
甘えているから。
ちゃんとできない人間だから。

でも、本当は違った。

過食嘔吐は、
私を壊していたけれど、
同時に、私を生かしてもいた。

苦しさから逃げるための「安心」だった

不安で押し潰されそうだった時。
誰にも本音を言えなかった時。

無心で食べることで、安心できた。

吐くことは、苦しいけれど、
頭の中を空っぽにできた。

身体に悪いことも、
普通じゃないことも、
いつか壊れてしまうことも、どこかでわかっていた。

それでもやめられなかったのは、
それが「快楽」だけじゃなく、
「生き延びるための方法」になっていたからだ。

嗜好と嗜癖の違い

世の中には、「嗜好」と「嗜癖」がある。

嗜好は、好きという感覚。

たとえば、音楽。
コーヒー。
ファッション。

自分を楽しませるためのもの。

でも、嗜癖は違う。

やめたいのに、やめられない。
苦しいのに、繰り返してしまう。

楽しみではなく、
苦痛を和らげるための行動になっている。

過食嘔吐は、後者だった。

最初は「味方」として始まる

安心するため。
感情を麻痺させるため。
孤独を紛らわせるため。
自分を保つため。

依存は、最初から敵として現れるわけじゃない。

最初は、「味方」として始まることがある。

だから厄介なのだと思う。

自分を壊しているのに、
同時に、自分を助けてもいる。

そして少しずつ、檻になっていく

でも、ある時から、
その「助け」は少しずつ形を変えていく。

守ってくれていたはずのものが、
今度は人生を閉じ込める檻になっていく。

身体。
お金。
時間。
自己肯定感。
人間関係。

気づけば、

「これがないと生きられない」

に変わっていく。

回復とは、「安心」を増やしていくことかもしれない

回復とは、
過食嘔吐を無理やり消すことではないのかもしれない。

その代わりになる「安心」を、
少しずつ増やしていくこと。

私が最初にやったこと

私が最初にやったのは、
過食を「やめる」ことじゃなかった。

過食する前に、

「今、私は何から逃げたいんだろう」

と、一度だけ自分に聞くことだった。

答えが出なくてもいい。
やめられなくてもいい。

ただ、聞く。

それだけ。

それを続けているうちに、
過食以外の「安心」が、少しずつ見つかっていった。

摂食障害は、敵ではなかった

過食嘔吐は、敵じゃなかった。

最初は、
たった一人の味方だった。

私を壊していたものは、
同時に、私を生かしてもいた。

そのことを認められた時、
私は初めて、自分を責めるのをやめられた。

あなたが今日、少し安心できたことは何ですか?

あなたが今日、

過食や嘔吐の代わりに、
ほんの少しだけ安心できたことは何ですか?

コーヒー一杯でも。
深呼吸ひとつでも。
誰かに送ったLINE一通でも。

よかったら、コメントで教えてください。

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